2017-05-11 第193回国会 参議院 内閣委員会 第8号
もいるわけでありますけれども、今にもやはり通じる部分というのは私はあるというふうに思いまして、これ、教育勅語をひっくり返したらどうなるのかということをちょっと見てみたいというふうに思うんですが、実は、教育勅語をひっくり返した逆教育勅語というものを憲政史家の倉山満さんという方が書いているんですが、これ、教育勅語をひっくり返して文章にしてみるとどうなるかといいますと、ちょっとそれ朗読をいたしますと、一、親に孝養
もいるわけでありますけれども、今にもやはり通じる部分というのは私はあるというふうに思いまして、これ、教育勅語をひっくり返したらどうなるのかということをちょっと見てみたいというふうに思うんですが、実は、教育勅語をひっくり返した逆教育勅語というものを憲政史家の倉山満さんという方が書いているんですが、これ、教育勅語をひっくり返して文章にしてみるとどうなるかといいますと、ちょっとそれ朗読をいたしますと、一、親に孝養
私たちは、子は親に対して孝養を尽くすことを考え、兄弟姉妹は互いに力を合わせて助け合うようにし、夫婦は仲睦まじく温かい家庭を築き、友人は胸襟を開いて信じ合えるようにしたいというのが、これが口語に訳したものであるということでありまして、ここのどこに問題があるのだろうかという趣旨の質問を、これは当時の民主党の大畠議員からされたわけでございます。
○下村国務大臣 相当解釈が違っているのではないかと思いますが、教育勅語の十二の徳目、これも、現代語訳としての教育勅語の十二の徳目というのが一般的に流布されているものとして、これは例えば孝行というのは、親に孝養を尽くしましょうとか、それから友愛というのは、兄弟姉妹は仲よくしましょうとか、それから夫婦の和というのは、夫婦はいつも仲むつまじくしましょうとか、それから朋友の信というのは、友達はお互いに信じ合
したがって、例えば私なんかが考えますと、 私たちは、子は親に対して孝養を尽くすことを考え、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合うようにし、夫婦は仲睦まじく温かい家庭を築き、友人は胸襟を開いて信じあえるようにしたいものです。
○安倍国務大臣 確かに、大畠先生が御指摘になられますように、私たちの進むべき道、この口語訳された、また現代語訳されたものを見ますと、「子は親に対して孝養を尽くす」「兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合う」「夫婦は仲睦まじく温かい家庭を築き、友人は胸襟を開いて信じあえる」、大変すばらしい理念が書いてある、このように思うわけであります。
子供は、両親が祖父母に孝養を尽くすのを見、そして両親が祖父母をいたわる、そういう姿を見て育ち、そして孫は祖父母からは昔話を聞きながら夢を膨らませ、知恵を授かり、それが心の糧となっていく、大勢の兄弟にもまれて、けんかもあったでしょうが、しかし、だれに教えられることもなく、我慢をしなくてはいけないということも自然に身についていったと思います。
ただ、その中で、今議員が指摘ありましたような、夫婦仲よくするとか、父母に孝養を励むとか、こういうところは、時代が変わってもこれは普遍の真理ではないか、そういうことは私は正しいものではないかというふうに申し上げたところです。
第二に、子が親に孝養を尽くす美徳という言葉の欺瞞性であります。 そもそも、今高齢者を介護している人たちは三三%が嫁であります。二八%が妻であります。子供は二割程度にすぎません。その子供もほとんどは娘であります。孝養の美徳とは、現実を見ない空論であり、過酷な介護を強いられている女性に何の配慮もない男性優位の儒教思想と言っても過言ではないでしょう。
その中で、「戦後教科書から消された人々」これは濤川栄太さんという方が書かれたのですが、この中で戦前の教科書と戦後の教科書を比較されておりまして、戦前教科書に掲載された多くの偉人が戦後の教科書の中でカットされている、特に孝養、忠義、勤勉、節約、我慢する、そういうふうな部分が戦後の教科書の中で否定されているのではないかというのがこの本の中で書かれております。
なぜこんなに尊属殺人をあくまで厳罰をもって対処しようとしたのかということを考えてみますと、その思想的背景は、当然、儒教において最も重しとされた道徳のうちの孝、孝養の孝、忠孝の孝、明治初頭、明治政府が孝を重要な国民に対する教化政策と位置づけた点に求められるのではないかというふうに考えるわけでございます。
それは、尊属殺人罪の削除そのものに、法と道徳、子の親に対する孝養の心を国家としてどう考えるかという世界観、法律観の問題があったからだと考えるからです。
しかし、そういうものがないということは、価値観の多様性は結構ですけれども、やっぱり最小限度、平和であるとか隣人を愛するとか、親に孝養を尽くす、あるいは先生に対しても敬愛する、そして友達同士が仲よくやるというようなことは、これはもうぜひ必要。
それは、長生きをすればするだけ余計金が入ってくるということになりますと、おじいさんやおばあさんの周りの親族が、できるだけおじいちゃん長生きしてねということで孝養を尽くす、別居などしておらずに同居して、少しでも健康状態を優良に保たせるといったような、これからの長寿社会にはインパクトの一つとしてなり得るのではないか、個人的にはそういうことを考えたこともございますが、これもまた一つ検討課題として受け取らせていただきたいと
効果というものは、法律上の親族関係が終了するということでございますから、自然的な血縁関係あるいは親子関係と申してもよろしいかもしれませんが、そういうものまで切ろうということはどだい不可能なことでございまして、そういうことについて子供が大人になり、自覚をして交渉を持とうということはむしろ結構なことではないかと思うわけでございまして、血のつながった親であるから、身分が異なり環境が異なっても、それなりに孝養
○猪熊重二君 まさに今局長がおっしゃったように、養子がこれが本当のおっかさんだ、これが本当のおとっつあんだということで孝養を尽くしたい、親子の情を持って親として子としてやっていきたいと、これを法律がやっちゃいけないとかどうだとか言うことはできない、それはもう当然の話なんです。
そういうことで、わかった血縁の親に対して孝養を尽くすということがあってもまたこれおかしくないことでございます。 ただ、財産が欲しいからとか、あるいは財産を目当てにとかいうことになってまいりますと、これは特別養子をつくる制度の趣旨ということとも関連いたしまして、実方との関係を常に維持するということがこの特別養子の趣旨に反する。
それじゃいけないかということになってくるわけなんですが、この特別養子制度というのは、そういうことを禁止して封殺しようということまで意図したものではございませんで、当面そこに監護を要する子供がいる場合に、それに家庭、親を授けてやりたいということからきているわけですから、そのきずなは非常に堅固で緊密であって安定性があるということになりますれば、それ以外に自分の血筋といいますか、どこから出てきたかということを知って、実の親との関係において孝養
○柳川政府委員 緑綬褒章の実際の活用例を見ますと、大体十年、二十年、あるいは三十年孝養を尽くしたとか義僕であったとかいうことでございまして、そういう若い例というのはないわけでございますが、各種の表彰制度などとの絡みも考えながら検討してまいりたいと思います。
こういうことは実務、事業をやっておられる人々はすぐに自分の会社に当てはめてそろばんをはじいてみられると、よし、これならいける、これなら息子に喜んで譲れるとか、息子も安心して、じゃおやじ、家業を継ぐからと言って、老後の孝養を尽くしてくれる。効果は事業者の方がよく御存じだと私は思っております。
したがって、私は、その孤児を育ててくれた人、その人には大いに孝養を尽くしてもらって、それでまたわれわれも感謝をしなければならぬ、むしろそういうように考えております。 でありますから、この問題は本人にお任せするのが一番いいのじゃないか。
それはそれなりの意味を持っておったわけでございますけれども、本来家の制度が持っておった長い間の伝統といいましょうか、家庭にありまして親に孝養を尽くす、あるいは祖先に対してはそれなりの感謝をささげていく、そういう気風まで悪いもののように押し流されていった。
そういう意味では、子供が親に孝養を尽くすということは、子供が親を殺すなんということに比べればはるかにすばらしいことなのでありまして、特に恵まれない環境下において子供が親に尽くす、あるいはまた母親が恵まれない状況で子供に、あるいは父子家庭で父親が子供に尽くす、それぞれすばらしいことだと思いますし、そうした人たちに生きがいを与えるということもりっぱないいことだ、このように思います。